木枯らし❣道ばたの椿に蘇る一句❣❣

今年の冬は暖冬って聞いてたけど、寒波は突然襲って来る❣

ここ数日、広島には珍しいマイナス1度、2度なんて朝がきて、駐車場の植え込みの側に置かれたバケツの水も、ジョウロの水も硬く凍っていた❣

バス停で脚を踏みながら待っていると、木枯らしの中、裸になった木々の側に赤い椿がぽつんと咲いていた。

「木枯らしに 椿だけかよ 色そえて まだこぬ春を 梅は夢みん       寒村」

私が高校生のとき、部活の先輩と比治山に行った時のこと。

木枯らしの中、枯れ枝に吊るしてあった短冊に、この句が見え隠れしていた。

心って不思議だね。

時を超えて、情景が浮かんでくる❣❣

ちょっとセピアな甘い気持ちになった(笑笑)

幸運❣❣重なったウェディング❣❣

コロナが5類になってから、テレビにハワイの賑やかな映像が映るようになった。

我が家ではコロナ発症の前年(2019)次女と長男が同じ年に結婚式を挙げた。わざわざ重ならなくてもと思ったが、後からつくづく良かったね~と(笑)

2020年からの3年間、挙げたくても人の集まりが持てなかったから。

8月に広島のホテルで挙げた長男の式は、久々に5人の子供たちとその家族が揃って嬉しかった(笑)❣式を挙げなかった次男家族と長女たちの成長した姿も、親族に同時にみてもらうことができた。神奈川で暮らしてる次女夫婦もだ❣うちだけで12人(笑笑)❣❣

今は長男の所に2人増えて、もう1人増える予定だ(笑笑)❣❣

我が家が狭いので、何かと集合する時は、長男の家でするようになった。笑顔で迎えてくれるお嫁さん、Aちゃんには本当に感謝してる❣

次女は5月にハワイで式を挙げた。前年聞いた時はびっくりしたが、私と主人の費用もこれから貯めて全てだすからと言ってくれて、ほんとに2019年の5月に3泊5日で、ハワイ大好きな姉のエスコート付き(笑)で、私達は日本を発った❣

広島から関空に、そして9時間かけてホノルルに着いた。抜けるような青い空、南国の花々、どこまでも続く青い海、モアナサーフライダーという真っ白いホテルに泊まって過ごした忘れ得ぬ3日間だった。ホテルのチップから、買い物、散歩、全て長女と一緒で心強かった(笑笑)

次女のウェディングセレモニーはプルメリアガーデンで、海の見える素敵なガーデンだった❣どちらも家族3人とお婿さんのY氏の友人2人の8人、計10人の可愛らしい式だった(笑笑)

次女へのお祝いを、子供たちがまとめて私達へのお小遣いにしてくれたことも、ぜ~んぶ感謝❣❣考えると私達が準備したのはパスポートだけだったなぁ…

あれから4年たつんだね。

テレビから流れるハワイの景色をみると、あの空と海、色鮮やかな花々、そして街で聞こえたハワイアンの音色まで、ありありと浮かんでくるから不思議だ(笑笑)

あらためて子供たちに感謝❣❣

 

 

 

桑の実ジャムと母の思い出❣❣

猛暑の夏からあっと言う間に秋が深まり、金木犀の香が町のあちこちに匂う季節になった。

いつもお世話になっているお宅に、大切なお話しを伺いに行った折、帰り際「頂きものだけど、手作りジャムをどうぞ」と、マルベリー(桑の実)ジャムを頂いた❣

桑の実だ❣あの桑の実だ❣

思わず母の顔が浮かんだ❣

私が幼い頃、何度も母から聞いた話。

母が子供の頃、桑畑に赤い実がなると、畑の端からずっと頬張りながら歩いて、畑から出たら手の指も口も舌も真っ赤になった❣❣美味しいんよ、と母は言って笑っていた❣❣

桑の実をたべたことのない私は、いつか味わえたらなぁ。

と心の片隅にずっとあって、やっと巡り会えたのだ❣❣

半世紀の時を超えて(笑笑)❣❣

家族で夕飯を食べた後、ハーブティとクルミパンと桑の実ジャムで、一人ティタイム(笑)

いちごジャムより酸味と深みがあるように感じた。

母の思い出の味だね。懐かしくて、暖かい(笑笑)

ジャムを作ってくださった方、母の思い出の味を持って帰らせてくださった方、お二人に感謝❣❣

今年で主人は晴れて古希❣バンザイ❣❣

主人の69歳という歳は不思議な歳だった❣

4月、仕事で運転中、急に右折してきた乗用車に衝突され、心臓の痛みで、救急車で病院に搬送された。私の携帯に主人の番号から電話がかかって「驚かないでください。ご主人が事故で病院に運ばれました。生命に別状はありませんが、直ぐにご主人の所に行って下さい。」と、消防の方からの電話だった。

落ち着けと、心で唱えて直ぐにタクシーで向かうと、主人は先生の診察中で、頭と、胸と、腸のCTを撮ったが恐らく異常はなく、打ち身も外傷もないからこのまま二人で帰ってもよろしいですよ。と言うことだった❣

「あー良かった❣」ホッとしてその日は、主人と帰ったのだが、翌日、病院から電話があった。「事故とは関係無いんですが、胸のCTで肺に16ミリの影が見つかりました。悪いものなら肺がんの可能性があるので、大きい病院ですぐに診察してもらって下さい」

こうきたかー、寝耳に水だが、もし肺がんなら、この事故で見つけてもらったことになる❣

すぐに主人と一緒にS病院に、紹介状とCT検査のCDRをもって行くとたくさんの検査を経て、肺がんのステージ1とわかった❣ロボットアームで、肺の左上葉の2分の1の区域切除をすることになり、40代の自信に満ちたドクターによって、5月のG7サミットの後、無事に手術は成功した❣(笑)

8年前にタバコは辞めていたが、さすが40年タバコを吸った肺の色は肝のような赤黒い色をしていた❣(笑笑)

高額療養費制度のお陰で、何とか支払いもことなきをえて、そちらの方も、ホットした❣(笑)

だが70歳を前にして、ガンの手術をした主人の心身とものショックは、6月いっぱいの自宅療養をへても、なかなかしんどいものがあったと思う…

7月から仕事に復帰して、この猛暑の中頑張ってくれている姿を見て、ちゃんと生きていてくれて良かったと、あの事故にも感謝❣ドクターにも感謝❣諸天善神よ、ありがとう❣そして、

この顛末の中、ずっと心配して寄り添ってくれていた子ども達にも本当に感謝だ❣❣

30年前の8月、私の父は肝臓ガンで70歳を目前にして亡くなったが、主人は晴れて70歳の古希を迎えられた❣❣バンザイ❣❣(笑笑)

キラキラ✨✨おばあちゃんのいた田舎の思い出❣

田舎のある子供たちは幸せだ❣ 

主人のふるさとは三次で、子供たちが小さい頃は、毎月のように帰っていた。お母さんが畑でいっぱい野菜をそだてて、おばけのような胡瓜やナス。しっかり熟したトマト。背丈くらい大きくなった枝という枝に、わんさとツヤツヤのピーマンが揺れていた。 

「よー来た❣よー来た❣」日に焼けたおばあちゃんは、孫たちに必ずそう言って、笑顔で迎えてくれた(笑) 

畑の向こうに小川があって、夏休みで水がしっかり流れているときは、水着に着替えて土手の上から飛び込んだ❣❣お兄ちゃんたちを追っかけて、次女も浮き輪をかかえてジャンプ(笑) 

大きく育ったスイカは、冷たい谷の水が流れている溝で冷やして、いっぱい切り分けて縁側で食べた。真っ赤なスイカは甘かったね❣❣ 

子供たちが遊んでる間に、おばあちゃんが「みな持って帰れよ」と言ったことばに、私は素直に(笑)従い、車の後ろに山盛りの野菜たちをせっせと積み込んだ(笑笑) 

遊び疲れて帰る車の後部座席は、子供たちが折り重なるように寝ていた。 

田舎の新鮮な野菜たちと、主人の釣ってくる新鮮な魚たちのお陰で、5人の子供たちは元気に今まで成長してくれて、感謝しかない(笑)

おばあちゃん、ありがとうね❣❣(笑笑) 

 

ハラハラ❣❣はじめての確定申告❣❣

今年、初めての確定申告をすることになった❣

ご主人が個人事業主の姉や友人が、年が明けて暫くすると気合いを入れていたが、普通の確定申告すら、慣れない私には大変だったのに、さぞ心労の多いことだったに違いない。心より敬服する❣❣

私は申告書の用紙を見、次に手引書を開いて見ただけで細かい字の多さと数式にノックアウトされ(笑)、三男のTに一緒にやってくれるように頼んだ(笑笑)主人の給与と年金の源泉徴収表・医療費のお知らせの書類をもらって始めてみたが、手引きを読みながら計算しては記入する作業は、何とも心もとない正解しているのか間違っているのかわからない、心折れる時間で(笑笑)、最後は二人で「またにしよう」と閉じた❣(笑笑)

あっという間に三月がきて、バタバタしてると締切が近づいてきた。

今度はパソコンで、息子メインで私は補助❣❣(笑笑)主人のスマホマイナンバーカード、マイナポータルアプリでQRコードを読み取り、息子は次々と私の読み上げる数字を打ち込んでくれた❣❣

そして最後の【送信】は、訳の分からない重荷から何だか解放されたようで感動的だった❣❣(笑笑)

会社や役所等で、こういう作業を日常的にされてる方々がいて、私たちはふだん楽をさせてもらってるんだと、改めて感謝した❣❣そして難しい作業を少しでも楽にできるように e-tax (電子申告)を可能にして頂いてたことにも、遅ればせながら感謝だ❣❣(笑笑)

そして何より、私たちじじばばの苦手なことに快く手助けしてくれる三男のTに感謝は尽きない❣❣(笑笑)

大復活❣次男の小児難病、闘病記❣❣

基本、我が家の子供たちは元気だった❣ 

保育園に通っていたから、誰かかれか鼻水を拭いていたような気がするが(笑)風疹や麻疹や水ぼうそうも、予防接種してても軽くかかることはあったが、それほど大変なことには至らなかった。 

ただ、次男のKの水ぼうそうが治って保育園に行った次の日、思ってもみなかったことがおこった❣ 

4歳の6月の朝。いつもは元気なKがだるそうに横になってる。長男が時々なる自家中毒かもしれないと、保育園を休み自転車の後ろに乗せて近くの小児科に連れて行った。先生も「自家中毒じゃろう。点滴うったらすぐ治る」と、点滴の針をKのうでに射してくれた。普通なら点滴が終わる頃には段々と元気がもどってくるのに、変わらない。先生は続けて点滴を2本目に。心配で見ていると、首の付け根の頸動脈が、ぴくぴく・ぴく・ぴくぴく・ぴく、と異常な動きをしだした❢すぐに先生に診てもらうと、顔色が変わった。 

「お母さん、舟入病院に後輩がおるけえ、すぐに連絡をとるけえ、この子を連れていきんさい❢」救急車で舟入病院に着くと、先生や看護師さんたちが5・6人で囲って、酸素吸入や点滴をつけて、そのまま土屋病院に移動した。こころで祈りながら傍にいるだけで、何が起こってるのか、わからない。 

次男はそのまま集中治療室に運ばれ、長い間待つしかなかった。母と、主人も来てくれて、やっと先生の話を聞いたときは信じられない言葉だった。 

「お母さん、kくんは水ぼうそうの菌が心臓にはいって、心筋炎になってます。この病気は小児難病の一つで、治療法がわかりません。対処療法するしかないので、3か月で治るか何年もかかるかもしれません。」 

集中治療室に入ると、Kはたくさんのチューブに繋がれ、酸素テントの中で紙おむつ1枚で寝かされていた。起きると心臓に負担がかかるから、薬で寝かせていると。 

小学1年の長女と、保育園の長男と、1歳6ヶ月の次女が家で待ってる。その日から、私は自転車で、病院と家を往復した。 

まずは、たくさんのチューブを抜いて、この集中治療室からだしてやろう❣1週間だ❣真剣に祈る。すると1本ずつチューブが外されて、不思議なことに6日めで子供部屋に移動できた❣❣ 

それぞれ心臓に疾患をかかえた子供たちが、お母さんと一緒に入院している。まだみんな小さくて、可愛い子供たち。ほんとなら走り回っている子らだ。 

病室の窓から平和公園が見える。「必ず、平和の役に立つ子になりますから、この子を早く元気にならせてください」と誓った。 

とっくにオムツは取れていたが、おしっこの量を計るためオムツをし、毎日1リットルの水を計りながら、少しずつ飲んだ。そして全て用紙に記録した。本当は夜、母親は家に帰ったらいけないんだけど、先生にお願いして、Kを寝かせて10時頃そっと部屋を抜けて帰り、翌朝病室に戻った。Kは夜中にしっかり(笑)起きて、やさしい看護師さんたちに遊んでもらっていた(笑笑) 

1ヶ月で退院しよう❣目標を決めて祈る。友人・知人たちも応援してくれている❣Kは日に日に元気になってきて、七夕が過ぎた頃、先生から退院の話を聞いた❣❣ 

「3か月は家で療養してください。保育園はそれからです(笑)」病室の子供たちと別れを告げて退院できたのは、入院してちょうど28日めだった❣❣ 

平和公園の青い空の下を、次男と一緒に歩けることを、諸天に、全ての人に感謝した❣❣ 

現在、次男は3児の父となり、必死に・楽しんで(笑笑)生きている❣❣