可愛い母の思い出❣❣

私は母が大好きだった。白菜子(しろなこ)というネームで俳句や川柳のようなものを、よくチラシの裏に書いて、たまったらノートや便箋に書き溜めていた。

野菜かご ピーマン、トマトに変身し(笑)

母の作品の中で、私が一番好きな句だ❣道端の小さな砂の竜巻に、巻き込まれそうになるスズメを詠んだり(笑)とても身近な、誰も振り向かないような出来事をチャーミングに詠んだ❣

母が自分の幼かった頃の話は、決まって岩国の錦帯橋の川をお父さんの背中におぶさって(母はかなづち)渡った話か、桑畑で赤い実を食べながら遊んで、口の回りが真っ赤になった話❣きっと本当に楽しかったんだろう。

母は、6才で産まれて間もない妹を亡くし、追うように母を亡くし、そのわずか数か月後に10歳の姉を亡くしている。その後11歳の時には24歳の兄と20歳の姉を亡くした。

詳しい経緯を聞いたことがないから、それがどれほど辛いことだったか知る由もないが、クレヨンを買ってくれた優しいお兄ちゃんだったことと、編み物がじょうずなお姉ちゃんだったことくらいしか、母が私に語れなかったことが、今思うとせつない。

友達のお母さんや仲のいい兄弟げんかなんか見たら、寂しかったろう。だから母は、空想あそびが大好きで、楽しみを心の中でいっぱい作れる人になっていったんだ❣❣(笑)

私が子供だった頃、シチューは”チュラチュラル”だった❣渥美清は”コメ”❣変な呼び名でふつうに会話してた(笑)ヤクルトのカラに、ほんとに小さな野の草花を活けたり、アイスクリームは顔の形を作りながら食べたり(笑)母が子供たちを怒った覚えがない❣❣

仕事は人一倍頑張るが、遊び人の父が朝まで麻雀をして帰ったときは、”めっ!”と書いて横に親指を立てたグウの絵があった(笑笑)誰にもやさしい人だった。

いつか、母のことを書いてあげたかった(笑)