ありがとう❣❣みんなの「お手伝いタイム」❣❣

たしか長女が小学5年生、長男3年生、次男2年生だった頃から、我が家ではお手伝いタイムがはじまった❣ 

次女は保育園児で、三男がお腹にいた頃からだと思う(笑) 

台所係とお風呂係と洗濯物係だ❣3人が順番こに交代しながら、夕方5時から6時までの1時間、みんな元気にお手伝いしてくれた(笑笑) 

台所がかりは私が夕飯を作るときに、あれこれ手足になってくれる(笑)お風呂係はお風呂を洗って沸かす。洗濯物係は大量の洗濯物を取り入れ、ハンガーから外してたたむ。きっと、こんな感じだったよね(笑笑)正直言って私はあまり覚えていない(笑笑)

みんな、それなりに(笑)一生懸命してくれて、力を合わせて日々を生きた(笑)5人の子供たちが健やかに(笑)成長してくれたのは、みんなのおかげだと、つくづく思う。

主人はひたすら(笑)仕事して、いつのまにか子供たちが大きくなっていた❣って、以前言ってたなぁ(笑) 

これまでもこれからもダヤンと一緒❣❣

池田あきこさんの描く猫のダヤンと出会って、どのくらいになるのだろう❣ 

今はなくなった八丁堀の天満屋8階に、誕生20周年記念の「池田あきこ原画展」がやってきて、初めて猫のダヤンとわちふぃーるどの世界に足を踏み入れた(笑)おそらく2007年❣ 

15年のつきあいだ(笑)なんかもっと昔の気がする(笑笑) 

気まぐれで好奇心旺盛、無邪気なダヤンは、自由に生きている❣ 

誰かに言われて動くのではなく、自己発信の能動的な生き方に、素直にひかれる(笑) 

誰かのせいで起きたことも、自分ごとだ。自分が悩んで考えて行動したら、自分のためになる(笑)思い出も増えるよね(笑笑) 

きっと80になっても、90になっても猫のダヤンと一緒に生きている❣❣                 

アウトドア❣家族みんなの思い出❣❣

子供たちが小さい頃、家族で遊びに行くのは、ほぼ主人の釣り場だ(笑) 

波止場だったり、港や島だったり、河原の時も(笑) 

私も子供たちも主人の周りをつかず離れず(笑笑)近くを散策してみたり、落ちてるカンを拾う競争してみたり、そのカンを的にして小石を投げて遊んだり(笑)砂山や瓦礫の山があるところでは、基地を作ったりしていっぱい遊んだ❣ 

昼時には炭火で、肉や野菜を主人が焼いてくれた。野外の焼き肉だけは主人の担当(笑)で、みんなでお腹いっぱい食べた(笑)❣❣ 

周防大島に行ったときは、セスナ機のある公園や、小さな水族館で遊んだり、一度だけ陸奥記念館に入って、戦争で沈没した戦艦の事実の恐ろしさを、目の当たりにした。 

ある時は夜遅く、真っ暗な港の岸壁にみんなを連れて行って、大きな懐中電灯で水面を照らし、けっこう大きなカニを、取っ手の長い網で捕まえた(笑) 

つつくなよーって言われて、案の定つついた息子たちは、きっちりカニのはさみの餌食になった(笑) 

家に帰って大きなナベにお湯を沸かし、暴れるカニたちにごめんねーと言いながら、つっこんでフタをした(笑笑)美味だったね~(笑)特に長女はカニ好きで、他の子が飽きても、私たちと一緒にずっと食べてた(笑)❣ 

またある時には、広島を夜出発して夜中に山陰の三隅に着いた。一人で運転して、一人でテントを張っていた主人に、今更ながら感謝。 

漆黒に降るような星空、天の川は、まさに真砂なすだ。この身は宇宙(天)とひとつになる❣ 

熟睡している子供たちが、この感動を味わえたのは、もう少し大きくなってからだ(笑) 

子供たちはたくさん泳いで、たくさん食べて、疲れ果て、折り重なって眠りながら帰路に就いた。 

観光地のような特別な所には、どこにも連れて行かれなかったが、案外、特別な思い出や体験になったかも知れない(笑笑)

ドキドキ❣初めてのメルカリ❣❣

今年はじめたことにメルカリがある❣まさか自分がこんなめんどくさそうな事を始めるとは思ってなかった(笑)次女に勧められ、私一人では心もとないので一緒に住む三男も巻き込み(笑)手伝ってもらうことにした❣

神奈川に住む次女が、以前からメルカリを始め、収益もそれなりに得るようになっていたから、オンラインでメルカリ教室を持ってもらい3人で勉強することにした(笑)A4サイズで3センチ以内の物なら、近くのコンビニで簡単に出来るという。メルカリのアプリは少し前に入れていたので、いよいよ出品してみることに❣❣(笑)

まずは本かな(笑)ダヤンの特集号の月刊MOE、暮しの手帖、キルトの本、樹木希林さんの本も。他いろいろ(笑)アプリの”出品”の所を押してカメラで商品を撮ったら、バーコードを合わせると勝手に説明文を入力してくれた(笑)値段も自分でつけれるが、ちゃんと参考範囲をおしえてくれた(笑)最後に”出品する”を押すと完了❣❣

始めて売れたのは「型紙なしで着物をリフォーム まっすぐ切ってまっすぐ縫うだけ」

発送するのに三男についてきてもらい、コンビニでコピー機を兼ねた機器に二次元コードをかざし、用紙が出てくるのを傍でドキドキしながら見た(笑)レジで用紙を渡して発送用の裏がシールになってる袋状のものにレシートを入れ、商品に貼り付けたらオッケー❣店員さんに渡して終了。宛名も何も書かなくていいのが助かる(笑)二次元コードって素敵❣❣二度目も優しい三男に甘えてついてきてもらって、三度目からやっと一人で発送できるようになった❣(笑笑)

あれから着物のはぎれや手芸材料、スチームクリームの空缶、ダヤンの小物入れ、マスキングテープなど、少しずつだけど楽しみながら出品したり、たまに購入したり(笑)おかげさまで新しい世界が拡がった❣

背中を押してくれるみんな、ありがとう(笑笑)❣❣

可愛い母の思い出❣❣

私は母が大好きだった。白菜子(しろなこ)というネームで俳句や川柳のようなものを、よくチラシの裏に書いて、たまったらノートや便箋に書き溜めていた。

野菜かご ピーマン、トマトに変身し(笑)

母の作品の中で、私が一番好きな句だ❣道端の小さな砂の竜巻に、巻き込まれそうになるスズメを詠んだり(笑)とても身近な、誰も振り向かないような出来事をチャーミングに詠んだ❣

母が自分の幼かった頃の話は、決まって岩国の錦帯橋の川をお父さんの背中におぶさって(母はかなづち)渡った話か、桑畑で赤い実を食べながら遊んで、口の回りが真っ赤になった話❣きっと本当に楽しかったんだろう。

母は、6才で産まれて間もない妹を亡くし、追うように母を亡くし、そのわずか数か月後に10歳の姉を亡くしている。その後11歳の時には24歳の兄と20歳の姉を亡くした。

詳しい経緯を聞いたことがないから、それがどれほど辛いことだったか知る由もないが、クレヨンを買ってくれた優しいお兄ちゃんだったことと、編み物がじょうずなお姉ちゃんだったことくらいしか、母が私に語れなかったことが、今思うとせつない。

友達のお母さんや仲のいい兄弟げんかなんか見たら、寂しかったろう。だから母は、空想あそびが大好きで、楽しみを心の中でいっぱい作れる人になっていったんだ❣❣(笑)

私が子供だった頃、シチューは”チュラチュラル”だった❣渥美清は”コメ”❣変な呼び名でふつうに会話してた(笑)ヤクルトのカラに、ほんとに小さな野の草花を活けたり、アイスクリームは顔の形を作りながら食べたり(笑)母が子供たちを怒った覚えがない❣❣

仕事は人一倍頑張るが、遊び人の父が朝まで麻雀をして帰ったときは、”めっ!”と書いて横に親指を立てたグウの絵があった(笑笑)誰にもやさしい人だった。

いつか、母のことを書いてあげたかった(笑)

スマホから拡がる世界❣❣

2018年にガラケーからスマホに変えた。充分と思ってた世界がガラリと変わって拡がった❣ 

わからないことがあればスマホに尋ね、そこから次の異世界に飛ぶ。答えは一つだったり複数だったりすることが面白い。調べる人によって求める答えが違う。どちら側から私は見ているのか?立ち位置がわかる⁉(笑)そんなふうに捉えることができる、斜め上の視野をゲットした(笑) 

夕食を作りながらYouTubeを聞くときは、夏川りみ平原綾香手嶌葵の歌が多い。心が澄んでくる感じ(笑)台所で手を動かしながら心は自由になる(笑笑) 

夏川りみの”涙そうそう”が流れてくると、時々胸が痛くなる。 

長男が東京のs大学に、新聞奨学生として通っている頃、私が好きだと言ったこの歌の歌詞を書いてくれた。あまり深い意味は無かったと思うけど、手書きの一文字一文字が愛おしく思えた。 

平原綾香の”おひさま~大切なあなたへ”は、聞いていると子供たちの、小さかった赤ちゃんの頃の、柔らかな肌の感触が蘇る❣❣音楽って素敵だ(笑) 

コロナ禍で、オンラインの会議にも頻繫に使うようになった。アナログな世代に無縁と思ってたSNSも、スマホにお陰様だ(笑笑) 

grace(グレース)❣❣

友達が藤井風くんの歌にはまって、聴いてみたらとても素敵❣❣graceの心地よい風が吹くような調べは、ちょっと身体を前に進めてくれるみたい(笑)

先日、母の眠る墓苑に行ってきた❣

高く青い空、11月のひんやりした大気に終わりかけた紅葉の苑内のパノラマ。

ただいま朝日 お帰り夕陽 

graceの曲が心で流れて、大自然の宇宙(そら)に解放されていく❣❣

生も死も感謝❣❣

均等に整列した墓苑群に、広がる山並みと、空を見ながら思った。

この世界に必ず平和が訪れますように❣❣

墓苑を後にして、スマホで見つけた「へんぽこ茶屋」で美味しいご飯を食べ、道の駅に寄り道して主人と三男と大満足の帰途についた(笑笑)