母への詩❣

2月は、私の実家にとって特別な月だ。私が小学6年生の2月に隣家から火が出て我が家は全焼した。母の子宮筋腫の手術も、肺がんの手術も、母が亡くなったのも全て2月だった❣色々なことがあったが、母はいつも笑顔で宿命を乗り越えていった❣❣ 

ふっくら下膨れの頬の、母の笑顔はいつ思い出しても癒される(笑笑) 

かつて、母の誕生日に詩を贈った。1980年12月1日 

 

母よ 

浄く生きる母よ 

その両頬は 

幼子のようだね 

母よ 

愛に生きた母よ 

その両の眼は 

嬰児のようだね 

宿命の鉈にきざまれても 

きざまれても 

赤いあなたの血は生き生きと蘇る 

しなやかに 

強く生きぬいた母よ 

五十三年(ごじゅうみとせ)のあなたの年輪 

浄らに輝く生命の塊を 

そっと包むあなたの肉は 

この頃ふっくらやさしくなった 

日々の健やかに感謝して 

今日はあなたの娘であることに 

ありがとう 

 

昭和2年12月1日に生まれた母に捧ぐ】 

この詩をおくった時の母の顔は、本当に嬉しそうだった 

母が亡くなって、遺された日記のような広告裏のたばも、白菜子の句集ノートにも、この詩は挟まれてなかった(笑)きっとどこかに、大事にしまってあったんだろうな(笑笑) 

 生きていれば95歳❣❣孫たち・ひ孫たちの成長を心から喜んで、顔をほころばせているに違いない(笑笑)

心の詩❣高村光太郎「あなたはだんだんきれいになる」❣❣

高村光太郎の『智恵子抄』に「あなたはだんだんきれいになる」という詩がある。 

その詩に出会ったのは、まだ私が二十歳前後の頃だったと思う。衝撃を受けた❣ 

 

をんなが付属品をだんだん棄てると 

どうしてこんなにきれいになるのか。 

年で洗はれたあなたのからだは  

無辺際を飛ぶ天の金属。 

見えも外聞もてんで歯のたたない 

中身ばかりの清冽な生きものが 

生きて動いてさつさつと意欲する。 

をんながをんなを取りもどすのは 

かうした世紀の修行によるのか。 

あなたが黙つて立つてゐると 

まことに神の造りしものだ。 

時時内心おどろくほど 

あなたはだんだんきれいになる。 

 

昭和2年に書かれた詩だ。この詩に出会ってから、私のなかの❝きれい❞は、付属品を棄てた、生きて動いてさつさつと意欲するひとになった気がする(笑笑) 

私が高村光太郎に最初に出会ったのは、小学校の高学年のころだ。9歳はなれた兄から『智恵子抄』の「あどけない話」を教えてもらって、なぜか気に入って一生懸命おぼえた(笑)たぶん兄は「道程」のような有名な詩も教えてくれたと思うが(汗) 

大きくなるにつれて沢山の光太郎の詩に触れたが、やっぱり一番好きなのは、この「あなたはだんだんきれいになる」だ(笑) 

年を重ねるほどに、人として豊かな心で、自分も他人(ひと)も共に幸せに平和に暮らせるように、生き生きと前向きに生命(いのち)を燃やしたい❣❣ 

チャレンジ❣❣おうちで出来るSDGs❣❣

昨年の夏から始めたことが二つある❣ 

一つは、以前このブログに書いたように次女のH子から進められてメルカリを始めた❣趣味の本、ダヤンのスチームクリームの空缶(ダブったもの)、マスキングテープ、手芸材料、古布、はぎれ、雑貨等々。H子にメルカリ教室を開いてもらい(笑)三男のTに手伝ってもらって(笑)出品を始めた。これがけっこう面白かった(笑笑)出品したものに「いいね」がつくと嬉しくなるし(笑)売れるとドキドキする❣❣(笑)何人の人が見ているか、チェックするのもゲームみたいだ(笑)

今では一人で出品し、発送することもやっとできるようになった(笑笑)まだまだメルカリ1年生だから、徐々に色んなものが出せるようになれたら嬉しい❣❣第二のステージで活躍する、うちのかつての宝物たちの未来を想像すると、なんだか楽しい終活だ(笑笑) 

二つ目は、スマホに「エコ電気」のアプリを入れた❣(笑笑)先にT電力からS電気に変えていたので、やってみたら意識が変わった❣アプリを入れるだけで2000円paypayに入るというのに釣られて(笑)始めたけど、夕方の電気使用量が増える時間帯に節電チャレンジをすると、1キロワットあたり1ポイントから5ポイントの成功報酬がギフトされる。節電量1キロワットで、0.5キログラムⅭO2削減したことになるらしい❣❣1ポイントは1円paypayにチャージされる。たかが1円だけど(笑)要らない電気は消す癖がつきだしたし、なかなか消せないテレビも消せるようになった❣(笑)SDGs(持続可能な開発目標)バッチリ❣❣ 物価高騰のこの冬も、節電アプリで頑張るぞー❣❣(笑笑)

1円2円の価値観が、世界に繋がって拡がって大きく変わったのは画期的だ(笑笑) 

できることから、興味を持ったことから、まだまだ変われるっていいよね(笑笑) 

私のお手本❣❣近所の素敵なおばあちゃん❣❣

我が家の近くに、89歳ともうすぐ89歳になる可愛くてステキな2人のおばあちゃんがいる。 

もうすぐ90になるんじゃけぇ。と数年前から口ぐせのように言っていたNさんは、今89歳で本当にもうすぐだ(笑)小っちゃくて、細い身体をさすると、骨が手に伝わる(笑)時々私のお肉をあげるーと言うと、ちょうだいやーって笑うNさん。 

昔からミシンの仕事をしていたそうで、今でも知り合いのクリーニング屋さんに頼まれてお直しの仕事をしているというから凄い❣目はいいそうだ(笑) 

新聞も、本もよく読む❣以前おじゃました時は、田原総一朗の本が面白いけど、すぐに忘れるけえ、今2回目を読みよるんよって(笑笑)そして、身体にいいからと、タンポポコーヒーをよばれた(笑) 

もうすぐ89歳になるⅯさんは、社交的だ。やっぱり小っちゃくて(笑)いつもオシャレにしてる。手作りのブローチや、きものをリフォームしたのをさりげなく身につけてる。やさしい桃色の帽子だったり、時には真っ赤なジャンバーをはおっていたり(笑)会うといつもチェックするようになった(笑) 

手押し車をおして、朝はラジオ体操、昼は公民館で合唱や、老人大学に行ったり、百歳体操に出かけたりしている。そして月一で足の悪いお友達の家を訪ねておしゃべりをしたり、仲良しさんが病院帰りにⅯさんの家に立ち寄って、2人で一緒にご飯を食べたり(笑)たまにⅯさんに会うと、ほんとに話題がつきない❣❣(笑) 

数年前、Ⅿさんは10年日記をつけ始めて、昨年は30巻ある小説の読了に挑戦し全巻読んだと言う。今年は2000頁ある、仏法の教典の読了に挑戦してる❣ 

こんな素敵なお手本に、身近にお会いできるのは幸せなことだ❣ 

幸齢化社会も悪くない❣❣(笑笑) 

波乱万丈❣❣ゆかいな私の父と母❣❣

私の父は、面白い人だった。 

三次の国民小学校をでて、すぐに大阪に丁稚奉公に行かされたが、合わずに飛び出した。転々と職を変え、大人になり、まだ若かった母と出会った頃は海軍の船で調理を担当していたらしい。その船の艦長が母のお父さんで、時々家に遊びに来ていたという。 

三つ編みをして、郵便局に勤めていた頃の母はきっと可愛いかったろう(笑) 

その後母は一度結婚して長男を産んだが、訳あって離婚し実家に戻って来た。その時まだ独り身だった父は再び母と出会い、2人は一緒になることを決めた(笑笑)まだ幼い子供を母の実家に預けて、必ず迎えに来るからと、2人で広島にでた。アンパンをかじりながら線路を歩いたと、母から聞いた(笑) 

お父さんのどこが良かったん?と聞いたら、心の中に空間がいっぱいあったんよ、って(笑)そのいっぱいの空間に、まるごと母を受け入れたんだろう(笑笑) 

父の田舎では、好き勝手に生きる父を勘当したらしく、父は母の姓を名乗った。 

岩国を出て、しばらくは田舎の父の姉のところで世話になっていたが、芸北の冬場の極寒に母の身体が耐えられず、広島に出た。被爆後、10年に満たない広島だ。 

父は馬を飼い、馬車で運送業を始めた。だが気性の荒い馬で、気弱な母を馬鹿にするように、母はよく鼻息で笑われたらしい(笑) 

ある時は、荷物を降ろしたあと、父をおいて勝手に家に戻って来たり、またある時は線路の前で急停車して、勢いあまって飛ばされた父は、店にかけてあった簾に落ちて一命をとりとめた(笑)という。時がたち、バタンコという三輪トラックの運送に変わったが、それからも転々と仕事を変え、最後はH設備工業という名前で、頼まれた仕事をいろいろ請け負っていた。愛嬌のある、ひとなつこい人柄でお得意さんも増えていった(笑)母の誠実な支えが、信頼をえた因でもあるが(笑笑) 

よく働く父は、よく遊んだ(笑)麻雀、競輪、競馬、競艇…オシャレも好きで、勝手にあつらえたジャケットの請求書が母に届いたこともある。今思うと、母は相当苦労したに違いない。ただ、父は、母を愛しく思っていたんだろう。母の服は、必ずといっていいほど一緒に選んでいたし、母が遠出するときは、父がお弁当を作っていた(笑)こともある 

父が晩年、肝臓がんになった時、母はずっと肝硬変だと父に伝えていた。医者から余命3か月と言われたが、母の変わらぬ姿と祈りで、父は4年ながらえた。入退院を繰り返しながらも、やり残した仕事をし、広島城で花見をし、田舎に帰って皆に会い、やりたいことを一つずつ思い出にして、母と兄と姉と私、みんなに看取られて、生き切った❣❣ 

沢山の人たちに、迷惑もかけたが、沢山の人たちのお世話もし、愛された父は幸せだ(笑笑) 

 

桜梅桃李❣みんなちがって、みんないい❣❣

"桜梅桃李”という言葉が好きだ❣ 

桜も梅も、桃も李(すもも)も、それぞれに耀き、美しい❣ 

他を羨むことなく、自分らしく生きることが、一番ステキなことだ❣❣ 

子供たちにもそうあって欲しいと、みんなが幼い頃から願ってきた(笑) 

金子みすゞの『わたしと小鳥と鈴と』の詩にある 

「みんなちがって、みんないい」で、うちの子たちは大きくなった(笑笑) 

東日本大震災のとき、CMで『いいえ、誰でも。』という詩が流れた。 

 

「遊ぼう」っていうと 

「遊ぼう」っていう。 

「馬鹿」っていうと 

「馬鹿」っていう。 

「もう遊ばない」っていうと 

「もう遊ばない」っていう。 

そして、あとで 

さみしくなって、 

「ごめんね」っていうと 

「ごめんね」っていう。 

こだまでしょうか、 

いいえ、誰でも。 

 

心の中にスーッと入ってきて、いまもすみっこにいてくれる、優しい言葉だ。 

「みんなちがって、みんないい」けど、周りの人に同苦できる、寄り添える人になってくれたらうれしいな(笑)「いいえ、誰でも」辛いことや、淋しいことがあるから。 

面白い❣❣5人5色の子供たち❣❣

子供たちが小学生の頃、時々担任の先生から電話があった。 

「お母さん、Hちゃんがランドセルを忘れてきとってです❣取りに帰らんでええから、今日は学校のほうで教科書を貸してあげますから…」

上の子たちで、体操服や給食のエプロンを忘れる子はいても、さすがにランドセルそのものを忘れる子はいなかった(笑) 

「お母さん、Tくんが友達とけんかしてほうきを振り回しました‼今日のホームルームでみんなで話し合いをしました。うまく気持ちを表すことが出来なくて、したんだと思います。」 

子供たちのことをよく見て、それぞれの話をきちんと聞いてくれる、良い先生だった。そして、ひとりひとりの子供に、相手の気持ちになって考えてみようと話してくれたお陰で、次の日も、ふつうに学校に行くことができたのは、先生に感謝している❣ 

「お母さん、Kくんが理科の授業中に、指をやけどしました‼すみません。みんなは菜の花の写生をしてたんですが、Kくんが指に針金を巻き付けて、コンセントに針金を差し込んだんです。」あーこちらこそ、申し訳ない…みんなと、全く違うことに興味を持って、心の赴くままに針金を差し込んだんだ❣左手の指と手のひらに焦げた❝らせん状❞の跡がしばらく消えなかったが、彼は痛いと言わなかった(笑笑) 

Kくんの担任の先生と懇談したとき、「お母さんも大変ですねー」って言われた。 

「うちの子供たちはみんな面白い子だから(笑)」って言うと、先生は目を丸くして言った。 

「お母さんは、面白いって思えるから凄いですねー」 

あー、やっぱり先生には、苦労をかけていたんだ。申し訳ない😢

いろいろあったけど、みんなそれぞれに成長してくれて、生活を営み、自分らしく生きている。そして、兄弟姉妹みんな仲がいいのが幸せだ❣❣